【感想】石岡瑛子展 血が、汗が、涙がデザインできるか
公開日:2021/02/14 更新日:2021/02/14ぐったり。
大行列と仕事への取り組み方、生き様に圧倒されっぱなし。
これが見終わった後の感想だ。
なにせ開館前の9:40頃に着いてこの行列。
休みを取って石岡瑛子展に 朝一で来たが、考えが甘かった。
まだ開館前なのにこの列。 待ち時間2時間くらいかなぁ。
ちなみにこの行列はチケット購入のための行列で、オンラインチケットはすでに完売済み。
結局1時間半待って美術館に入れたが、このときの待ち時間を見たら150分待ちだった。。
展示は1FとB1Fに分かれていて、中は撮影禁止。
空間としては狭くもないんだろうけど、とにかく蜜なのでめっちゃ見づらく、展示物もドローイング、衣装、映像、ポスターと多岐にわたっていて見るのに時間がかかる。
結局11時ぐらいから見始めて、見終わったの14:30よ?
実に3時間は鑑賞していた。それほど見応えがあった。
目次【記事の内容】
石岡瑛子展
東京に生まれ、アートディレクター、デザイナーとして、多岐に渡る分野で新しい時代を切り開きつつ世界を舞台に活躍した、石岡瑛子(1938-2012)の世界初の大規模な回顧展。時代を画した初期の広告キャンペーンから、映画、オペラ、演劇、サーカス、ミュージック・ビデオ、オリンピックのプロジェクトなど、その唯一無二の個性と情熱が刻印された仕事を総覧します。
東京都現代美術館 公式サイトより
1. Timeless:時代をデザインする
ジェンダー、国境、民族といった既存の枠組みの刷新、新しい生き方の提案を、ヴィジュアルな言語から社会に投げかけた石岡瑛子。グラフィック、エディトリアル、プロダクト等のデザインを通して、1960年代の高度経済成長期から80年代に至る、消費行動を通した日本大衆文化の成熟を辿る。時代をデザインしつつ時代を超越しようとする姿勢は、その後の彼女の展開を予言するものとなる。Projects: 資生堂、角川書店、パルコ広告キャンペーン(ポスター、CM 1960s-1980s)、角川書店『野性時代』(雑誌 1974-1978) ほか
2. Fearless:出会いをデザインする
1980年代半ば以降、石岡瑛子は、クリエイターたちとの新たな出会いによって、日本から世界へと活動の場を広げるとともに、グラフィックデザイン、アートディレクション、衣装デザイン、さらにはプロダクションデザインと、デザインの表現領域を超えていく。エンターテイメントという巨大な産業のなかで個人のクリエーションのアイデンティティをいかに保ち、オリジナリティを発揮するかという問いに向き合いながら、コラボレーションによるデザインの可能性を拓いていく。Projects: レニ・リーフェンシュタールとのコラボレーション(展覧会、書籍など 1980/1991)、マイルス・デイヴィス『TUTU』(レコード・アルバム 1986)、『M.バタフライ』(演劇 1988)、『忠臣蔵』(オペラ 1997)、『ミシマ―ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』(映画 1985)、『ドラキュラ』(映画 1992) ほか
3. Borderless:未知をデザインする
オペラや映画、サーカスのコスチュームやオリンピックのユニフォームを通して、身体を拡張し、民族、時代、地域などの個別的な属性を乗り越えた、未知の視覚領域をデザインしていく仕事を総覧する。永遠性、再生、夢、冒険といった普遍的なテーマを足掛かりに、人間の可能性をどこまでも拡張していく後半生の仕事は、常に新たな領域へと果敢に越境し続けた石岡自身の人生と重ねられる。Projects: 『ザ・セル』(映画 2000)、『落下の王国』(映画 2006)、グレイス・ジョーンズ『ハリケーン・ツアー』(コンサート・ツアー 2009)、シルク・ドゥ・ソレイユ『ヴァレカイ』(コンテンポラリー・サーカス 2002)、ビョーク『コクーン』(ミュージック・ビデオ 2001)、ソルトレイクシティオリンピック(ユニフォーム 2002)、北京オリンピック(開会式 2008)、『ニーベルングの指環』(オペラ 1998-1999)、『白雪姫と鏡の女王』(映画 2012) ほか
東京都現代美術館 公式サイトより
戦場を生き抜いてきた人の言葉の重み
展示会の構成として印象的だったのが石岡瑛子さんのインタビュー音声が会場全体に聞こえてくるところ。
- デザインとは何か
- グラフィックデザインはいずれ消滅する。ではどうやったら消滅しないのか。本質を突き詰める必要がある
- きれいで、中身がないものがデザインミュージアムに飾られても社会的な運動にはならない
- だからグラフィックとかインテリアとかの境界はなくした方がいい
- 年寄りが新しいことをできないっていうのは全くの嘘
- 知識や経験やいろんなものを集めて社会を変えるほどのスケールを
- 気が狂うほどの精神で猪突猛進する
- 流行は興味がない、人のマネは絶対しない、それでオリジナリティを出さなくてはならない
みたいなことをずっと喋っているのだが、その言葉一つ一つが重く、会場のどこからでも聞こえてきてまるで天から語りかけてくる(重くのしかかってくる)かのような演出であった。
鑑賞前の印象としてはPARCOのポスターや映画「ドラキュラ」「白雪姫と鏡の女王」の衣装デザインを手がけて、「ドラキュラ」でアカデミー賞を受賞したということぐらいしか知らなかったが、その言葉たちにヒリヒリさせられっぱなしだった。
「死ぬ気で生きているのか?」
と問われているようでもあった。
コッポラ監督など各業界の巨匠たちと、まだ見たことのない世界を作るために共闘してきたからこその迫力と矜恃と苦悩が見えた。
ボーダーレス化することでスケールを拡張していく
最初の展示は資生堂在籍時代のグラフィック作品だったのだが、デザインを作っているのか、アートを作っているのかよくわからなかった。
日焼け止めのポスターで前田美波里を起用した作品こそ商品を売るための商業デザインとわかるものだが、それ以降のPARCOのポスターは「PARCOとは何か」「文化とは何か」「ファッションとは何か」を追求した結果、社会に対する問題提起のメッセージで極めてアート的なアプローチだと感じた。
当時PARCOはただのデパートではなく、劇場を創設したり、ファッションを含めた文化を広げる装置として機能させようという目論見があり、その背景もあって先鋭的な取り組みをしていた。
キャスティングが最重要項目の一つでそこを見抜く能力がずば抜けていた、というのが意外な発見だった。
PARCOのCMで有名な外国の俳優を起用して、ただ食べ物を食べるだけのCMを撮影して広告という存在自体に投げかけをしたり、PARCOのポスター「あぁ、原点」でインドなどの奥地に住む民族を撮影したり、見ただけで「これは何が言いたいんだ?」と考えさせる力がある。
そういったポスターの中でこのモデルは誰で、起用理由、その人のエピソードもコピーの中に入れているのが新鮮だ。
資生堂を退職後、独立して作品を作っていく中でグラフィックだけでなく、映画にも携わっていく。
映画「ミシマ―ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」の美術監督を通して、遺族からの反発などで日本に対する見方も変わっていったとあり、それも後の日本を離れることにつながったのかなと類推。
脱線するが、その映画の中で作られた金閣寺のセットは必見。金閣寺を真っ二つに割らないだろう、普通。
映画「ザ・セル」で王の威厳さを出すために背中のマントが壁中に広がり、それをワイヤーで引っ張る仕掛けを提案したり、とにかく大胆なところも多くのクリエイターを惹きつける魅力なのだろう。
そんな石岡さんが「ゼロリセットするために」NYへ移住することに。年表もあったが、42歳でNY大学に在籍していたようだ。
知り合いもおらず、生活していける保証もない中、「EIKO by EIKO」という今までの作品集を作り、活動を開始する。
その作品集を見た、ターセム・シン監督やビョークなどから声をかけられ、次の仕事につながっていく。
ひとつの創造のために集まった集団が国、人種、性別を超えたところに存在するゴールに向かっていかに個人のアイデンティティを提示するか
東京都現代美術館 石岡瑛子展より
と本人が語るようにグラフィックデザインから映画、サーカス、オリンピックなどどんどん領域を広げることで作るもの、社会へのインパクトもスケールが大きくなっていく。と同時に「誰も見たことのないものを作り続けている人は世界中を見回してもそんなにいない」ということにも気づく。
私は衣装をデザインしているのではなく、視覚言語をデザインしている
東京都現代美術館 石岡瑛子展より
ココ・シャネルの名言に「私は流行を作っているのではない。スタイルを作っているの。」というのがある。
なぜ時代を作る女性は同じような名言を残すのか。
石岡さんも「流行=古くなるもの」という同じ考えだったのではないか。
「流行は追わない」と豪語している人が時代を作っている。そのプロセスを見ることで、現代のインスタントなクリエイションはすぐに消耗され、時代を作ることもない。激しい葛藤や苦悩、屈強な精神力、意思を持って作り続けたものこそ、人を惹きつけ、残り、時代をつくっていく。
今で言う「イノベーション」や未知のものを作ることはまったく容易くないのだと思い知らされ、同時に圧倒され、打ちひしがれる展示会であった。