【感想】高畑監督のものづくりへの探究心と哲学が詰まった展覧会「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」
公開日:2019/09/25 更新日:2020/01/12先日仕事の打ち合わせで神保町まで来た。
ドラクエウォークついでに散歩したら、いつのまにやら国立近代美術館の前に。この美術館は初訪問。
ちょうど「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」がやっていた。そうだ、これ見たかったんだ。
なんせ2018年に亡くなった高畑勲監督が書いた企画書とか原画とか、ジブリが持っていた1,000点以上の作品資料をこれでもかとお披露目しているのだ。この展示会自体初めてのこと。
知らなかったが高畑監督は「絵を描かないアニメーション監督」で、しかもヒットメーカーだった。みんなが知っているアニメの「ドラえもん」や「ルパン3世」は一度ポシャって高畑監督の手で今の形になったのだ。
そんな高畑監督の演出、作品へのアプローチ、原画が見られる貴重な展示会。
残念ながら写真・動画撮影は禁止で、感想もメモ程度のものもあるがまとめてみた。
目次【記事の内容】
「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」の概要
高畑勲とは
1935年三重県生まれ。岡山県で育つ。1959年東京大学仏文科を卒業。同年東映動画(現・東映アニメーション)に入社。1968年、劇場用長編初演出(監督)となる「太陽の王子 ホルスの大冒険」を完成。1974年テレビシリーズ「アルプスの少女ハイジ」全話を演出。1976年にはテレビ「母をたずねて三千里」、1979年にはテレビ「赤毛のアン」の全話演出を手がけた。その後1981年公開の映画「じゃりン子チエ」、1982年公開の映画「セロ弾きのゴーシュ」を監督。1984年公開の宮崎駿の「風の谷のナウシカ」ではプロデューサーを務めた。1985年スタジオジブリ設立に参画。自らの脚本・監督作品として以下の映画──「火垂るの墓」(1988)、「おもひでぽろぽろ」(1991)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)、「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999)、「かぐや姫の物語」(2013)を制作。『映画を作りながら考えたこと』(1984)、『十二世紀のアニメーション』(1999)、『アニメーション、折にふれて』(2013)など多数の著作がある。
スタジオジブリ 公式イベントページ
「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」とは
初の長編演出(監督)となった「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)で、悪魔と闘う人々の団結という困難な主題に挑戦した高畑は、その後つぎつぎにアニメーションにおける新しい表現を開拓していきました。70年代には、「アルプスの少女ハイジ」(1974年)、「赤毛のアン」(1979年)などのTV名作シリーズで、日常生活を丹念に描き出す手法を通して、冒険ファンタジーとは異なる豊かな人間ドラマの形を完成させます。80年代に入ると舞台を日本に移して、「じゃりン子チエ」(1981年)、「セロ弾きのゴーシュ」(1982年)、「火垂るの墓」(1988年)など、日本の風土や庶民生活のリアリティーを表現するとともに、日本人の戦中・戦後の歴史を再考するようなスケールの大きな作品を制作。遺作となった「かぐや姫の物語」(2013年)ではデジタル技術を駆使して手描きの線を活かした水彩画風の描法に挑み、従来のセル様式とは一線を画した表現上の革新を達成しました。
このように常に今日的なテーマを模索し、それにふさわしい新しい表現方法を徹底して追求した革新者・高畑の創造の軌跡は、戦後の日本のアニメーションの礎を築くとともに、他の制作者にも大きな影響を与えました。本展覧会では、絵を描かない高畑の「演出」というポイントに注目し、多数の未公開資料も紹介しながら、その多面的な作品世界の秘密に迫ります。
東京国立近代美術館 公式サイト
「高畑勲展 日本のアニメーションに遺したもの」の感想
私の観賞歴は「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」「かぐや姫の物語」。
特に「かぐや姫の物語」のビジュアルは、緻密な描写とは真逆の描ききらないタッチと画のインパクトが鮮烈で強く印象に残っていた。
実際に展覧会を見たあとの感想としては、ものづくりには以下が重要だということが学びになった。
- 監督(作品の指揮を執る人間)がいかに本質的に人間や自然、社会を捉えるか。
- 本質を捉えるだけでなく、それを伝えるために企画書でいかに噛み砕き、資金を出すクライアントに伝わるものにするか。
- 作り始めたら一切の妥協はなし(それゆえ、公開日が延びるのは当たり前で、それもあってジブリは大赤字だった)。
- 画だけではなく、時代背景に対する考察、音楽の構成、色味など構成するすべてのものに細部まで踏み込む。
私がどうしてそのように思ったか、作品ごとに高畑監督がいかに関わったかを紹介していきたい。
作品ごとの解説と感想
ドラえもん
ドラえもんのアニメもテレビ化の企画書を書いたのが高畑監督。
ドラえもんの説明ではなく、ドラえもんが出すアイテムで世界がどう変わるかという物語。だからシリーズの構成ではなく、いかにバラエティを考えるかが重要。
原作には一切手をつけず、そのまま作る方針にした。
1話完結ものにし、時間も1話15分と短いものにした。
これがこの後のテレビアニメのスタンダードとなる。
ルパン三世
ルパン三世は視聴率低迷で当時監督を務めていた大隅正秋が降板。
高畑監督と宮崎駿でコミカル路線に変更し、基盤をつくった。
ここまでですでにわかると思うが、高畑監督はその原作の本質をグワッと掴まえて、どこが秀でているかを引き出すヒットメーカーだということがわかる。
やぶにらみの暴君
アニメーション映画で「思想」が語れる。
物に託して語れる。
高畑監督が初めて見て感銘を受けたのが「やぶにらみの暴君」。
アニメーションの表現としての深みにハマった。
また、この頃の高畑監督は東映映画に入社してすぐ「ぼくらのかぐや姫」の構成を書いていた。
わんぱく王子の大蛇退治
高畑監督演出助手時代。
演出助手だけでなく、シナリオの改稿にも関わっていた。重要な動画チェックは監督からも任されていたことがわかる。
任天堂のデザイナーがこのアニメに強く影響を受け、オマージュとして作ったのが「ゼルダの伝説 風のタクト」。
太陽の王子 ホルスの大冒険
企画から3年半もかかった、高畑監督初の長編大作。
スケジュールも遅延の連続で、予算も7,000万円から1億3,000万円になった。
東映との制作ディレクションにおけるやりとり
面白かったのが、東映からの手紙で演出指示がされているところだ。それもすべてスケジュールを厳守するため。
ここのこのシーンはカットしてください、ここはこうしてください、などなど。配給会社と制作会社の関係だが、配給会社がここまで制作内容に踏み込むか、というぐらい事細かにディレクションしている。
高畑監督も東映からのオーダーに全面的に従うはずもなく、ストーリーが破綻しないようにコントロールしながらディレクションしているのが手紙から読み取れる。
哲学的であること
また驚いたのが、企画書に哲学が含まれていること。そして、企画書だけでなく、アニメーターへのフィードバックも実に哲学的。
この物語はこういう物語です。誰々はこういう立場でこういう人間なので、こういう振る舞いはしません、など。
こんな具体的で的確なフィードバックされたらアニメーターもぐうの音が出ないだろう。
以前、笑福亭鶴瓶が話していたが山田洋次監督の作品で撮影していたときに、
「人間はそんな風には行動しない」
と指摘された、と。
それと同じ話だと思った。
当時最若手の宮崎駿も参画
最若手の宮崎もアニメーターとして貢献していた。キャラクターデザインやシナリオへの提案もすでにしていた。そのデザインは若手かと思うぐらいの巧さだった。
テンション・チャート
スタッフと共有するために、時間軸に合わせた登場人物の感情の起伏を表現した図をいくつか作っていたのも面白い。
テンション・チャートと呼ばれるもので、緊張と開閉動で色分けをしている。時間軸が崩れないように、香盤表も数種類用意。
村と村人の様子を「ケ」と「ハレ」で捉える。動きに合わせた音楽も事細かに構成があって、楽譜もダンスのモーションに沿って音符が書き込まれている。
コマも膨大で最終的に1年半で5万8千枚、3年で15万枚の大作映画になった。
アルプスの少女ハイジ
「子どもの心の解放」がテーマ。
宮崎駿とレイアウトシステムを考案して、確立した。
高畑監督が語る映像も流されていたのだが、
「彼(宮崎駿)がいなかったらここまでの作品にはなっていない」
とまで言っていた。それほどまでに強い信頼関係で結ばれていたのだろう。
ハイジの成長を伝えるため、原作の三分の一を使って描写。生活を細部まで表現するため、ヤギの生態などまでリアルに設計しようとしていた。
なお、高畑監督は絵を描かないアニメーション監督として有名だが、「ペリーヌ物語」では描いていて、的確に視線の動きなどを伝えている。
火垂るの墓
神戸の三宮など舞台をロケハンして制作。
キャラクターは昼、夜、橙色、赤と分けて表現している。
平成狸合戦ぽんぽこ
背景のアニメーションを担当した男鹿和雄は「おもひでぽろぽろ」で描き込みすぎたので、省略する方向へ舵を切った。
同じ密度で描かない、線などの描き込みを省略する。観客が作品を見たときに想像力を働かせられるようにした。
背景が描かれた画面をじっくり見るとわかるが、「おもひでぽろぽろ」のときと背景の描き込みが全然違うのがわかる。
ホーホケキョとなりの山田くん
手描きの線画に水彩で色付けをした。
余白を残して背景を仕上げる。高畑監督は密度を上げるリアリズムが観客の想像力の余地を奪っているのでは、と考えた。
かぐや姫の物語
企画から完成まで8年の歳月がかかった。
「高畑はマルチョンの絵コンテを描く。だが、カメラワーク、高さ、低さ、何が入るかが非常に正確。」
とは鈴木敏夫プロデューサーの言葉。