【レポート3】PARTY 伊藤直樹さんのキャリアから紐解く「世界で通用するクリエイティブディレクションとは?」セミナー
公開日:2016/08/24 更新日:2020/02/017月に「六本木未来大学」で行われたPARTY伊藤直樹さんのクリエイティブディレクション講座の第3弾。
今回は社会実験、社会実装からデザイン思考など2016年7月現在伊藤さんが考えていることについて語っている。
【レポート1】PARTY 伊藤直樹さんのキャリアから紐解く「世界で通用するクリエイティブディレクションとは?」セミナー
【レポート2】PARTY 伊藤直樹さんのキャリアから紐解く「世界で通用するクリエイティブディレクションとは?」セミナー
【レポート3】PARTY 伊藤直樹さんのキャリアから紐解く「世界で通用するクリエイティブディレクションとは?」セミナー
目次【記事の内容】
2016.7.25 最近思っていること
実験じゃ勝てない。実装ならどうか。
どんどんビジネスドメインが近づいている。真鍋大度さん(ライゾマティクス)がやっているように、メディアアートとはテクノロジーを使って社会の中で実験すること。
LCCの空間設計は、イオンモール幕張で真似されたけど、うれしかった。真似られて怒る時代じゃないし、真似されたということは社会に受け入れられたということ。実装できる環境が整ってきた。
IoT→人工知能→VR/AR
これは分解すると、
計測・判別→解析・判断→表現
技術力じゃ勝てない。洞察力ならどうか。
技術力では任天堂、村田製作所にも勝てない。
VRとARを、技術ではなく、概念として考えてみる。
映画も「仮想の現実だし」、目の前にブラピが現れたら、「拡張された現実」。
影も、ARだ。 影も、拡張現実だ。
ポケモンGOも、拡張現実だ。
規模じゃ勝てない。個性、ならどうか。
ピクサー、ハリウッド、Google、アップル、ナイキ…
個性に尖った会社はたくさんある。ピクサーが大好きでピクサー展を見に行ったが、ズートピアは毛の映画だと知って驚いた。一体250万本の毛で作られている。
「特殊な技術」という個性で成り立っている。
大人数なら、デザイン思考。
デザイン思考はスタンフォード大学のデザインスクール「d.school」で実践されている方法。デザイナーの暗黙知をシステム化して、みんなでやるやり方。
大人数でやるにはいいが、システム化していくと、個性が潰される。
少人数なら、カオスに個性を立たせる。個性に乗ると尖る。ブレストするとマイルドになってしまう。
PARTYは25名と少ない。だから、個性を持った個人を集める。
以前海外で「日本のデジタル表現が一番面白かったのは2005年だった。」と言われて、自分もそう思ってたからドキっとした。
面白かった理由は、個性のある人がプロジェクトごとに離合集散を繰り返していたから。
アメリカは人と時間を集めて請求する。一箇所に人材を集めてプロジェクトを進めるスタイル。
日本は違う手を考えないといけない。そのためには、個性を持った人で離合集散を繰り返すことが必要。
どうしても勝てない。かっこよく負ける、ならどうか。
誰かが一人勝ちする時代は終わった。
「俺たちのあれは買われてしまった」という負け方。売上高500億程度ではGoogleには勝てない。だったらいいものを作って、それを買ってもらう、という負け方はどうだろうか。
オーセンティックじゃ勝てない。
「いとをかし」
「変だ」「素晴らしい」のダブルミーニング。イギリスにも同じ言葉がある。
weird and wonderful
中村洋基さんはこの部門で賞を獲りまくる。どう見ても「おかしい」から。ウンコしてブログに書いちゃう人。絶対に「変」。でも、だから賞を獲れる。
○○じゃ勝てない。○○ならどうか。
これからもこれを考えながら生きていきます。近いうち、また逃走します。
所感
まず、カンヌ広告祭やOne Showなど世界の名だたる広告祭でたくさん受賞してきて、審査員もやられてきた伊藤さんの口から「逃走」という言葉が出て来たのには驚いた。
PARTYも賞を数々獲っていて、日本の広告業界の中でもトップクラスの存在なのに、堂々と「負け」と言っちゃうあたりが衝撃的だった(ちなみに、広告代理店は過去いっしょに仕事をして大変な目にあったので、嫌いだ)。
ただ、この「逃走」は「知的逃走」を意味していて、「どうやったら世界で抜きんでて勝つことができるか」。これを考え続けるというのが、世界で通用するクリエイティブディレクションにつながるんだろう。
また、今回はクリエイターとしての伊藤さんの視点と「個人の経験での蓄積の先に、PARTYという一企業の経営者として、この先どう生き残っていくか」という経営者視点でのモノの見方、双方が混ざっていたのが新鮮だった。
デイリーポータルZの林さんにも同じものを感じる。誰も見えてないところを真っ先に見抜くあたり、アーティストに近いのかもしれない。
優れたクリエイターには優れた洞察力と一言で周囲を納得させられる表現力が必要なんだと痛感させられる。
講演後のFAQのコーナーでの蜷川幸雄さんの話もまさにそう。
蜷川さんは『鑑賞体験』というデザインをした。
厳しい人だったが、恫喝の中に愛があった。
だから、お葬式のときにみんながあれだけ悲しんだ。
など、言葉は多くないけど、端的に物事の本質を表現していて、何より聞いた人がそうだな、と納得してしまう。
たまたま知り合いにPARTYで働いている知人がいるのだが、その人から以前聞いた話だと、伊藤さんのプレゼンを聞くとそのストーリーにクライアントが感動して泣くらしい(どんなプレゼンだよ…)。
そして、これは伊藤さん本人が言っていたんだけど、
決してクライアントを説得しようとはしない。
説得しようとしている時点で無理をしている。
クライアントは事業者として数字の責任などを負った上で、オーダーをくれている。それを無理してやらせるということは僕は違うと思う。
ただ、ダメな理由は必ず聞く。それでダメであれば、わかりましたと納得するだけ。
という何とも潔いもの。マジかよ…。何百時間も費やしてきたはずなのに…。スタッフになんて説明すんだ…。というか、そのプレゼン、見てみたい…。
僕は仕事でディレクターを担当しているが、伊藤さんほど大きなプロジェクトをやっているわけでもないし、広告業界にも身を置いていないが、こんなに興奮したのは、プロジェクトの規模もさることながらインサイト、表現方法がユニークで面白いからで、その背景や考え方が垣間見えたからだと思う。
特に今回は、世界の錚々たるクリエイティブディレクターが話に登場して、世界でのパワーバランスを聞けた。
今まで伊藤さんが雲の上の存在だと思っていたが、その伊藤さんも勝てないというぐらい、世界はさらに広いんだとわかって、自分が戦うわけでもないのになぜだかワクワクした。
人が作ったものを見て、すごいとか批評したり、「観客」になることは簡単。
それに比べて、人といっしょにモノを作っていくのは、意見合わなくて揉めたり、睡眠時間削ったり、やっぱり大変。
それでも、作り上げたその先に見た人に楽しんでもらったり、うれしいコメントもらったり、それを見た自分自身が感動したり。
苦しんだ後でしか感じられない、達成感や恍惚感があるから、やはり「モノを作って誰かに届ける」という行為は素晴らしいのだと思う。
そんな達成感を、世界というフィールドで人一倍浴びてきた伊藤さんに嫉妬にも近い、憧れを、僕は抱いているのかもしれない。いいなぁ。
でも、自分にしかできない “何か” を僕も表現していきたい。
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